すもももももも

無理しない。頑張りすぎない。

イスラエルでヒッチハイクすることに! 安息日と休日って同じじゃないのね。

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ヒッチハイク

私が大学生だった頃のお話なので、かなーり昔。長い人生の中で一度だけ、ヒッチハイクをしたときの体験談。

 

当時私はアラビア語専攻の大学2年生。夏休みの間に行われている短期留学コースに参加していました。ヨルダン川西岸のビルゼイト大学というところです。

有名なエルサレムから少し北に行ったヨルダン川西岸の政治都市、ラマッラーから乗り合いバスで少し揺られていくと着く、小さな町ビルゼイト。

今はもっと栄えていると思いますが、私が滞在していた当時は小さな商店が少しあるだけで、毎朝ロバの鳴き声で目を覚ますような、ザ・田舎でした。

 

ビルゼイトの町に住み、徒歩で大学に通う日々の中、大学がお休みの日は観光を楽しむ生活をしていました。

ちなみにヨルダン川西岸(以下西岸)はイスラム教の地域なので、週末といえば金曜と土曜です。イスラム教の休日が金曜日なんですね。イスラム教徒は基本的に毎日お祈りしますが、金曜日はモスクまで足を運んで皆でお祈りしましょうということらしいです。

一方、ヨルダン川をはさんで反対側、イスラエル側はユダヤ教の地域です。ユダヤ教では、金曜の日没~土曜の日没が安息日(シャバット)とされています。

 

一応ガイドブック的なものを持っていたので、イスラム教とユダヤ教でお休みの日が違う、そしてどうやらイスラエル安息日の方が厳格なんだなーくらいの感覚で当時の私も知識として知っていました。

 

さて、最初のうちは観光スポット満載のエルサレムに通う週末を過ごしていたんですが、同じ短期留学生の日本人の友人と、地中海岸の遺跡がある町へ行こうという話になりました。今調べてみましたが、おそらくカイザリアというところだったと思います。

 

出発は大学が休みの金曜日。シャバットは金曜の日没からなので、夕方までにエルサレムに戻れば問題ない。エルサレムからバスに揺られて、テルアビブの北にあるカイザリアへ。海岸沿いにローマ時代の水道橋や円形劇場の遺跡が点在しています。海と遺跡のコントラストがとても美しかったのを覚えています。

 

しばらく観光を楽しんで、時間が心配になってきた私は「そろそろ日が暮れるから、バス停に戻ろう」と言いました。友人は「もうちょっとくらい大丈夫じゃない?」と言いました。いくら安息日だからといっても、観光地なんだし、旅行者のためにバスとかタクシーとか、少しならあるはずだ、と私も考え、もう少しだけ遺跡に滞在してからバス停に戻りました。

 

夕方。日は沈んだか、沈んでないか、まだ暗くはありません。バス停に戻った私たちはバスが来るのを待ちますが、なかなか来ません。何分経った頃か、さすがに不安になった私は、通りかかった老婦人に声をかけて聞いてみました。

お互いにつたない英語で、

エルサレム行きのバスはいつ来ますか?」「バス?バスはもう来ませんよ」。

 

※後で知ったことですが、ユダヤ教の「安息日」では労働が禁止されています。労働には仕事だけでなく、火を使う事(料理など)、機械の操作など色々なものが含まれており、敬虔なユダヤ教徒はこれを厳密に守っています。ただの休日と思ったら大間違いです。ホテルのフロントも銀行も締まります。バスもタクシーも全く動きません。運よく無宗教のドライバーにでも出会わない限り、シャバット中の旅行は非常に困難です。一方、イスラム教地域でのお休み、金曜日はというとそこまで厳格でなく、お店などは締まっているものの、乗り合いバスやタクシーはある程度運行しているので、身動きが取れなくなるほどのことはありませんでした。

 

うそでしょ!バスはもう来ないなんて。見ればここは海の近くで町ではない。人通りも車通りもほんのわずか。「どうしよう!?」焦る私に、友人が一言。

ヒッチハイクするしかないでしょ

 

えええー生まれて初めてのヒッチハイクを、ここイスラエルで!?

しかし、刻一刻と夜が近づいてくる。とにかく早くどこか街に行かなければ、最悪の場合野宿の可能性だってある。

「・・・わかった」

私は腹をくくり、たまーに通りかかる車に向かって親指を立てるポーズをとりました。

 

1台、2台、、、車は止まってくれません。何台目だったでしょうか、ついに一台の車が私たちのところで止まってくれたんです。あーあきらめなくて良かった!

ドライバー「どこへ行くんだい(アラビア語)?」

友人「あなたはどこへ行くんですか?」

ドライバー「ハイファだよ」

友人「オーケー!ハイファに行こう!」

 

えええ?エルサレムでなく、ハイファ?

ハイファは、カイザリアからさらに北へ行った地中海岸の町。私たちが帰る方向とはほぼ逆。でもまぁ、仕方ないか!ここにいるよりは町へ行こう。ということで、私たちはこの車に乗せてもらうことにしました。

私たちを乗せてくれたドライバーはアラブ人なので、アラビア語で話してくれました。アラビア語は少し分かってもヘブライ語イスラエルの言葉)が分からない私たちにはありがたかった。でも助手席に乗せている少年はイスラエル人なんだよ、と教えてくれました。パレスチナイスラエルは敵対しているから、そんな二人が同じ車で移動しているのは不思議な感じがしましたが、同じ場所で暮らしている人たちの日常では、個人のレベルでは、そういうこともあるんだなぁ、と妙に納得したりもしました。

 

あとは、アラビア語しゃべれるんだねーどこで勉強したんだい?みたいなお決まりの(?)会話をしているうちに、ハイファに到着。

ハイファは結構大きい街です。日帰りの予定だった私たちは帰りのバス代とお小遣いくらいしかお金を持っていなかったので、超安宿を探そう。私がクレジットカードを持っていたので、ATMが見つかればお金を引き出せるかも知れないし。

 

ガイドブックに安宿が多いエリアと書いてあったところへ。一つ良さそうな宿があったので探すも、道がよくわからず。道にいたお姉さんに聞いてみることにしました。

私「この近くの安いホテルを知りませんか?(英語)」

お姉さん「・・・」

お姉さんはホテルを知らないのか、近くにいた別の男性のところに行って話しかけました。

お姉さん「この人たちが何か聞いてるみたいなんだけど…(アラビア語)」

 

お姉さんはアラブ人だったんです。なんだ、アラビア語でOKだったのね。私たちはアラビア語で聞き直します。私たち日本人がアラビア語すのが珍しいんでしょう、お姉さんはとてもうれしそうでした。

お姉さん「ホテルは分かるわ。でもその前に、実は今日はうちの家族の誕生日パーティーをやっているから、いらっしゃい。食べ物もあるし、踊りもするわよ!ホテルはその後に行けばいいでしょ」

 

ヒッチハイクの後は、初対面のお姉さんのお宅訪問ですか!

もうこうなったら、せっかくのお誘いを断る理由もありません。私たちはお姉さんに付いていきました。

中庭を囲んで建物がある、伝統的なタイプのお宅。中庭ではお姉さんの親族と思われる方々が座って楽しんでいました。見知らぬ日本人が2人突然やってきたにも関わらず、全員がとてもうれしそうに歓迎してくれ、食べ物や飲み物をたくさんいただきました。一緒にダンスも踊りました(汗)。

そうこうするうちに夜も遅くなり、そろそろホテルに行かねばかな、と思っていると、お姉さんが「いいから泊まっていって。部屋もシャワーも使って」と、寝間着も用意してきてくれたんです。

なんだか、至れり尽くせりすぎて申し訳ないくらいですが、ここまできてお断りするのも失礼かと思い、喜んでお泊りさせていただきました。

親族のみなさんと夜遅くまでおしゃべりを楽しみ、シャワーを浴びて、ゆっくりと休ませてもらいました。

 

この素敵な出会いのおかげで、私は怖い思いもひもじい思いもせず、とても幸せな気持ちで次の日を迎えることができました。そして無事にビルゼイトに帰ることができました。

 

イスラム教の聖典コーランクルアーン)には、「旅行者には優しくせよ」という記述があることからか、イスラム教が主流の地域では非常に親切にされることがたくさんありました。

この短期留学の後、1年のシリア留学をするんですが、二度の留学期間中に受けた過剰とも言える(?)親切の一部を挙げてみました。これ、全部実話です。

 

・道を聞けば、たいがい目的地まで連れて行ってくれる

・目的地に行くバスを尋ねたら、バスまで案内してくれて、降りる場所になったら教えるよう運転手に話してくれ、運賃まで払ってくれた

・八百屋で「ティッシュを売っている店はどこか」と聞いたら、店で使っているであろう新品のティッシュを2箱タダでくれた

・タクシーに乗って、「いいレストランを知らないか」と聞いたら、「今日はごちそうだからぜひ食べていけ」と家に招待された

 

シリアの情勢はまだ落ち着いたとは言い切れない状態です。いつか安全に渡航できるようになった日には、もう一度アラブのお・も・て・な・しを受けてみたいものだなぁ、と思う今日この頃なのです。