【悲しいことも多かったけど】この1年を振り返って【老後への安心感が増した?】
そういえば新型コロナウィルスのある生活?ももう1年なんですね。
2020年は、娘が幼稚園を卒園し、小学校に入学するという節目の年でした。
まず、保護者達ががんばって準備していて、楽しみにしていた卒園前の謝恩会が急遽中止になりました。
そして「幼稚園生活もあと少しだなぁ」と思っていた頃、突然『明日から休園』というお知らせ。残り少ない貴重な時間、最後の思い出作りができないままお別れになってしまって、娘も私も戸惑いと悲しさでいっぱいでした。
かろうじて卒園式だけは縮小規模で行えたものの、幼稚園のお友達やママたちともあまりゆっくり話したりできないまま、バラバラに。
次は学校の長い休校期間。
4年生になった息子はインドア派なので休校&ステイホーム期間を満喫していましたが、娘は入学式もないまま学校から出される課題を行うだけの約2か月間。
やっと入学式を迎えられたのは6月になってからでした。
遠足、プール、運動会、文化祭も全て中止。
初めての小学校でのイベントが全部ないというのは、残念でなりません。このままもうすぐ2年生になるなんて。
実家の母と祖父に会えない日々も続いています。
90代の祖父の感染予防に気を配りながら日々のお世話をしつつ、仕事もしている母。
孫たちの成長を見るのを楽しみにしているのに、こんなに長い期間会えていないのは初めてです。
去年は祖母が亡くなり、なんとかお葬式には出られましたが、四十九日はコロナ対策のため最小限の人数で簡単に済ませたため、私は参加できませんでした。もうすぐ行う一周忌も同じです。親族たちでゆっくり話す時間もなく、本当にあっけなく終わった感があります。
IT業界で働く夫はといえば、4月から在宅勤務になり、それ以来ずっと家で仕事をしています。
幸い仕事用に使える部屋があるのでオンオフの切り替えができるし、通勤もなくて快適だからもうずっとリモートでOKだそうで。
そして私個人は、コロナ禍真っ只中の11月から、仕事復帰(在宅)をしました。
過去記事で詳しく書いてありますが、きっかけは夫の在宅勤務かもしれません。
夫と違って私はリビングで作業しているので、子供たちが帰宅してからの割り込み(話しかけてくる、宿題の丸付け、音読の評価など、色々することがあるんです)と闘いながら?なんとか今のところは順調に評価を上げている、はずです。
この困難な時期に仕事をいただけることをありがたく思いつつ、きちんとした仕事ができるよう心掛けています。
そうそう、夫がずっと在宅勤務で家にいるという話を他の人に話すと、かなりの確率で「えええー、それ大変だね」「うそー私はムリ!」「ストレスたまるでしょ」
などのネガティブなコメントをいただきます(笑
私も最初はちょっと居心地悪いかも?と思ったんですが、今になってみると全然問題ないです。
基本的にお昼ごはんは各自好きなものを用意して食べるので、以前と比べて私がすることは特に増えていません。
毎日二人並んでお昼を食べて、昼休みは録画番組を見て、時々は出前館でおいしいランチをデリバリーしてみたり。
テレビやニュースでは、夫が家にいるとストレスが~みたいな報道が多いですが、我が家には当てはまらないようです。
案外ずっと一緒にいても大丈夫なもんだな、と将来(老後?)に向けて少し安心したりもしている今日この頃です。
言語が変われば思考も変わる? 仕事のメールが英語になって困ったこと、良かったこと
育児休暇をやっとのことで抜け出し、在宅フリーランスの翻訳者として完全復帰を果たすべく、少しずつではありますが日々頑張っております。
現在仕事をいただいている会社では、お誘い~採用までのやり取りは日本語だったのが、途中から急に英語だらけになったので最初少し戸惑いました(汗
とは言っても、対面や電話のやり取りはなくすべてメールなので、英語での会話に自信のない私でも、調べながらの対応でなんとか切り抜けまして。
トレーニングを担当しているのが海外のメンバーなので仕方ない、と思っていたんです。が、英日翻訳プロジェクトチームに入った後も、連絡はずっと英語のまま。
リーダーも日本人だし、他のメンバーも皆日本人と思われる(もしかしたら数名違う人がいるのか?)のに、その後のやり取りもずーーーっと英語のままです。
なぜ日本語を使わないのだ?と思いつつも、改めて聞くこともできず。。まあ、仕事のためにも将来のためにも無駄にはならないと思い直すことにしました。
日本人の相手の顔を想像してしまうと、その人と英語でやり取りしてるって、ちょっと不思議な気分になりますね…
英語で仕事メールするデメリット
さて、仕事のメールが英語になって、簡単な連絡でも日本人相手に英文を作成するという、ある意味「謎」ともいえる作業。日本語でならすぐ書けるのに、自信がない私はインターネットで色々調べてからでないと、ちょっとした問い合わせもできなくなってしまったんです。一通の質問メールを書くのに30分とかかかってしまったこともありました…
これは非効率だな、と最初の頃は特に思いましたね。
※この問題は、今では少し小さくなってきています。ビジネスメールでは同じような表現が使われることが多く、毎日メールしているうちに同じような言い回しは覚えてくるので、調べものにかかる時間は日々少なくなってきています。
英語で仕事メールするメリット
しかし、デメリットばかりじゃないな、と最近感じている点があります。
しかも「英語の勉強になる」という点以外で。
言語を使うということは、その言語で思考することだ、という言葉を聞いたことがありませんか。まさに、私はそれを感じています。
おおざっぱに言うと、日本語は「調和を好み、自分を小さく見せる」言語、英語は「しっかり主張し、自分を大きく見せる」言語と言えます。
日々のメールを例にとってみると、日本語だと「〇〇様 いつもお世話になっております」「大変お手数おかけしますが、何卒よろしくお願いいたします」ですが、英語の場合だと「Hi 〇〇, hope you're doing well.」「Thank you for your help. Have a nice weekend.」みたいなカジュアルな印象になって、堅苦しさが少なくなる分、相手を身近に感じやすいです。そのおかげで、ちょっとした問い合わせも気兼ねなくできています。
また、納品した翻訳の品質が良かったら、「Great job.」とか「I know you are doing very well.」とか言ってもらえるのがうれしいです。ストレートに褒められている感じが伝わるので、私も自分の仕事に自信を持てます。
実際、バイリンガルの方が英語で話すときはとても自信に満ちて主張を持っているように見え、日本語で話すときは物静かで人に合わせる性格に見える、ということがあるらしいです。
ビジネスメールが英語になったことで、仕事のやり取りがすごく前向きな雰囲気になりました。自然と前向きな表現を選ぶようになるからです。相手もとても頼りがいがあるように感じられるし、おそらく相手にも私が自信を持ったできる人間に感じられているのではないかと思います。
それでもやっぱり、相手が日本人なんだよなぁと時々想像してみると、少しおかしな気分にはなりますけど。
英語の上達もできて、仕事に前向きな気もちで取り組めるので、多少の面倒は仕方ないと思って、この環境を楽しんでいきたいと思います。
Thank you very much for reading.
Wish you all the best!
イスラエルでヒッチハイクすることに! 安息日と休日って同じじゃないのね。
私が大学生だった頃のお話なので、かなーり昔。長い人生の中で一度だけ、ヒッチハイクをしたときの体験談。
当時私はアラビア語専攻の大学2年生。夏休みの間に行われている短期留学コースに参加していました。ヨルダン川西岸のビルゼイト大学というところです。
有名なエルサレムから少し北に行ったヨルダン川西岸の政治都市、ラマッラーから乗り合いバスで少し揺られていくと着く、小さな町ビルゼイト。
今はもっと栄えていると思いますが、私が滞在していた当時は小さな商店が少しあるだけで、毎朝ロバの鳴き声で目を覚ますような、ザ・田舎でした。
ビルゼイトの町に住み、徒歩で大学に通う日々の中、大学がお休みの日は観光を楽しむ生活をしていました。
ちなみにヨルダン川西岸(以下西岸)はイスラム教の地域なので、週末といえば金曜と土曜です。イスラム教の休日が金曜日なんですね。イスラム教徒は基本的に毎日お祈りしますが、金曜日はモスクまで足を運んで皆でお祈りしましょうということらしいです。
一方、ヨルダン川をはさんで反対側、イスラエル側はユダヤ教の地域です。ユダヤ教では、金曜の日没~土曜の日没が安息日(シャバット)とされています。
一応ガイドブック的なものを持っていたので、イスラム教とユダヤ教でお休みの日が違う、そしてどうやらイスラエルの安息日の方が厳格なんだなーくらいの感覚で当時の私も知識として知っていました。
さて、最初のうちは観光スポット満載のエルサレムに通う週末を過ごしていたんですが、同じ短期留学生の日本人の友人と、地中海岸の遺跡がある町へ行こうという話になりました。今調べてみましたが、おそらくカイザリアというところだったと思います。
出発は大学が休みの金曜日。シャバットは金曜の日没からなので、夕方までにエルサレムに戻れば問題ない。エルサレムからバスに揺られて、テルアビブの北にあるカイザリアへ。海岸沿いにローマ時代の水道橋や円形劇場の遺跡が点在しています。海と遺跡のコントラストがとても美しかったのを覚えています。
しばらく観光を楽しんで、時間が心配になってきた私は「そろそろ日が暮れるから、バス停に戻ろう」と言いました。友人は「もうちょっとくらい大丈夫じゃない?」と言いました。いくら安息日だからといっても、観光地なんだし、旅行者のためにバスとかタクシーとか、少しならあるはずだ、と私も考え、もう少しだけ遺跡に滞在してからバス停に戻りました。
夕方。日は沈んだか、沈んでないか、まだ暗くはありません。バス停に戻った私たちはバスが来るのを待ちますが、なかなか来ません。何分経った頃か、さすがに不安になった私は、通りかかった老婦人に声をかけて聞いてみました。
お互いにつたない英語で、
「エルサレム行きのバスはいつ来ますか?」「バス?バスはもう来ませんよ」。
※後で知ったことですが、ユダヤ教の「安息日」では労働が禁止されています。労働には仕事だけでなく、火を使う事(料理など)、機械の操作など色々なものが含まれており、敬虔なユダヤ教徒はこれを厳密に守っています。ただの休日と思ったら大間違いです。ホテルのフロントも銀行も締まります。バスもタクシーも全く動きません。運よく無宗教のドライバーにでも出会わない限り、シャバット中の旅行は非常に困難です。一方、イスラム教地域でのお休み、金曜日はというとそこまで厳格でなく、お店などは締まっているものの、乗り合いバスやタクシーはある程度運行しているので、身動きが取れなくなるほどのことはありませんでした。
うそでしょ!バスはもう来ないなんて。見ればここは海の近くで町ではない。人通りも車通りもほんのわずか。「どうしよう!?」焦る私に、友人が一言。
「ヒッチハイクするしかないでしょ」
えええー生まれて初めてのヒッチハイクを、ここイスラエルで!?
しかし、刻一刻と夜が近づいてくる。とにかく早くどこか街に行かなければ、最悪の場合野宿の可能性だってある。
「・・・わかった」
私は腹をくくり、たまーに通りかかる車に向かって親指を立てるポーズをとりました。
1台、2台、、、車は止まってくれません。何台目だったでしょうか、ついに一台の車が私たちのところで止まってくれたんです。あーあきらめなくて良かった!
ドライバー「どこへ行くんだい(アラビア語)?」
友人「あなたはどこへ行くんですか?」
ドライバー「ハイファだよ」
友人「オーケー!ハイファに行こう!」
えええ?エルサレムでなく、ハイファ?
ハイファは、カイザリアからさらに北へ行った地中海岸の町。私たちが帰る方向とはほぼ逆。でもまぁ、仕方ないか!ここにいるよりは町へ行こう。ということで、私たちはこの車に乗せてもらうことにしました。
私たちを乗せてくれたドライバーはアラブ人なので、アラビア語で話してくれました。アラビア語は少し分かってもヘブライ語(イスラエルの言葉)が分からない私たちにはありがたかった。でも助手席に乗せている少年はイスラエル人なんだよ、と教えてくれました。パレスチナとイスラエルは敵対しているから、そんな二人が同じ車で移動しているのは不思議な感じがしましたが、同じ場所で暮らしている人たちの日常では、個人のレベルでは、そういうこともあるんだなぁ、と妙に納得したりもしました。
あとは、アラビア語しゃべれるんだねーどこで勉強したんだい?みたいなお決まりの(?)会話をしているうちに、ハイファに到着。
ハイファは結構大きい街です。日帰りの予定だった私たちは帰りのバス代とお小遣いくらいしかお金を持っていなかったので、超安宿を探そう。私がクレジットカードを持っていたので、ATMが見つかればお金を引き出せるかも知れないし。
ガイドブックに安宿が多いエリアと書いてあったところへ。一つ良さそうな宿があったので探すも、道がよくわからず。道にいたお姉さんに聞いてみることにしました。
私「この近くの安いホテルを知りませんか?(英語)」
お姉さん「・・・」
お姉さんはホテルを知らないのか、近くにいた別の男性のところに行って話しかけました。
お姉さん「この人たちが何か聞いてるみたいなんだけど…(アラビア語)」
お姉さんはアラブ人だったんです。なんだ、アラビア語でOKだったのね。私たちはアラビア語で聞き直します。私たち日本人がアラビア語すのが珍しいんでしょう、お姉さんはとてもうれしそうでした。
お姉さん「ホテルは分かるわ。でもその前に、実は今日はうちの家族の誕生日パーティーをやっているから、いらっしゃい。食べ物もあるし、踊りもするわよ!ホテルはその後に行けばいいでしょ」
ヒッチハイクの後は、初対面のお姉さんのお宅訪問ですか!
もうこうなったら、せっかくのお誘いを断る理由もありません。私たちはお姉さんに付いていきました。
中庭を囲んで建物がある、伝統的なタイプのお宅。中庭ではお姉さんの親族と思われる方々が座って楽しんでいました。見知らぬ日本人が2人突然やってきたにも関わらず、全員がとてもうれしそうに歓迎してくれ、食べ物や飲み物をたくさんいただきました。一緒にダンスも踊りました(汗)。
そうこうするうちに夜も遅くなり、そろそろホテルに行かねばかな、と思っていると、お姉さんが「いいから泊まっていって。部屋もシャワーも使って」と、寝間着も用意してきてくれたんです。
なんだか、至れり尽くせりすぎて申し訳ないくらいですが、ここまできてお断りするのも失礼かと思い、喜んでお泊りさせていただきました。
親族のみなさんと夜遅くまでおしゃべりを楽しみ、シャワーを浴びて、ゆっくりと休ませてもらいました。
この素敵な出会いのおかげで、私は怖い思いもひもじい思いもせず、とても幸せな気持ちで次の日を迎えることができました。そして無事にビルゼイトに帰ることができました。
イスラム教の聖典コーラン(クルアーン)には、「旅行者には優しくせよ」という記述があることからか、イスラム教が主流の地域では非常に親切にされることがたくさんありました。
この短期留学の後、1年のシリア留学をするんですが、二度の留学期間中に受けた過剰とも言える(?)親切の一部を挙げてみました。これ、全部実話です。
・道を聞けば、たいがい目的地まで連れて行ってくれる
・目的地に行くバスを尋ねたら、バスまで案内してくれて、降りる場所になったら教えるよう運転手に話してくれ、運賃まで払ってくれた
・八百屋で「ティッシュを売っている店はどこか」と聞いたら、店で使っているであろう新品のティッシュを2箱タダでくれた
・タクシーに乗って、「いいレストランを知らないか」と聞いたら、「今日はごちそうだからぜひ食べていけ」と家に招待された
シリアの情勢はまだ落ち着いたとは言い切れない状態です。いつか安全に渡航できるようになった日には、もう一度アラブのお・も・て・な・しを受けてみたいものだなぁ、と思う今日この頃なのです。